高橋徳治商店 社長の徒然日記石巻 株式会社高橋徳治商店の社長が日々感じたことを書きあげていきます。

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山梨の高野農園さんへ 15:04
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    山梨の高野農園さんから沢山の桃を頂きました。とても実がしっかりしていて甘くジューシー! 従業員含め全員で美味しく頂きました。本当にありがとうございました。 せっかくなので社長から高野農園さんへ送ったお礼の手紙も掲載します。 /////////////////////////////////////////////////////////////////////

    高野さん。困りましたね、また沢山の桃が届きましたよ。

    お互いにやり取りしていたんでは、当社の製品の種も尽きますので、
    今回は借りとさせて頂き遠慮なく頂戴します。
    それにしても4ケースにびっしり、行儀良く並んだ桃たちは当社の窓から射し込む陽射しに少し恥ずかしげでしかし、しっかり存在感を持ったピンクの顔を見せてくれました。

    作る方に似てくるんでしょうか。

    震災前の何年も前に生協のお祭りの帰り甲府市の友人の社長宅にお邪魔してお酒を頂きながら、季節で山の斜面一帯が桃色の花の絨毯を敷き詰めたようになるんだよ。
    写真はうーんと唸る素敵なものでした。
    高橋さんの抱えている問題が解決したらぜひおいで下さいと。。。


    それから何年も経ったというのに問題は深くなるばかり、しかも社会では悲しすぎる問題が増えています。荒んで行く子供という未来達を救う術もなく、それどころか大人たちが益々お金という魔物に取り憑かれたかのように虜になっている。
    自分さえ良ければと勝手し放題、子供達の寄る辺もないことに気づかない。

    震災はそのことを教えてくれました。大事なもの、大切なこと。。
    でも、忘れ去られたと言いながら被災者自身が 震災以前より荒んできている、見るにつけ聞くにつけ人の悲しさ、弱さと言うより人のゴウの深さに腹が立つばかり。

    何か魔法の杖は無いものでしょうか。

    そう言った意味で自分の問題も含めて何も解決が付いておらず従って桃の花の絨毯は夢のまた夢。


    新工場もまだ建築着工もしておらず気持ちは焦るばかりですが、特に震災後は、思いを強く継続して念じて妥協しなければ大概のことは解決の糸口が見えてきました。
    頂いた桃の一個一個を当社のスタッフがどれだけの感謝の気持ちを持って頂くことか、恥ずかしい話ですが、私が自信持って全員がしっかり感謝していますよといえるかどうか、震災後の気持ちを忘れずに生き続けているかどうか。。。

    作った方への感謝を深く生きていける様、当社では食品を食べて頂けることへの感謝をして日々生産できるかどうか、私の思いを共有できるようこの被災地の小さな被災企業から発信できるよう、もっともっと頑張らねば。

    桃の花をいつかは見に行けるよう、いい涙を流せるよう精進します。

    こんなに長くなったんではお礼になりませんね。電話が通じず手紙にて。

    有難うございました。味わわせて頂きます。

    不一。

    株式会社 盒尭措商店 盒怯冤 拝
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    激励のメール 18:20
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      いつもお世話になっております組合員さんから激励のメールを頂きました。
      とても身にしみる嬉しいメールなので勝手ながら掲載させて頂きます。
       

      ××さん

      「生き残った者には それなりの使命がある。

      あの震災を経験し、生き残った子供たちを 私は健康に育てる義務があると思っています。

      食べ物を買うとき、それを口に入れる子供の姿を想像しながら 買っています。

      生協の生産者の方を信じて 利用しています。私に出来ること。生協を利用して、生産者さんとつながっていること

      。これからも、おいしいものをたくさん作ってください。」



      弊社社長 高橋より


      ××さんメ−ルを頂き有難うございます。
      子供達への愛情 手元に一緒にある今しか食事を通じて愛情を伝えられませんよね。

      すぐに子供達は旅立ちますので。
      それにつけても三食や朝夕の食事を手抜きせずに作るのは実は大変だとよく分かります。子供達は美味しくないとか好き嫌いで色々生意気なことをいうこともあるでしょう。しかし自覚しているかどうか分かりませんが本当は日々の食事を通じて母の愛情を感じていると断言してもいいでしょう。

      雨雪が大地にしみる様に食を大事にすることは子供達の心奥深く沁みてゆらぎないものに変って行っていると信じます。

      いわゆる拠り所です、寄る辺と言う言葉かもしれませんね。
      子供達が独り立ちして迷い苦しんだ時には 必ずそれが子供達の力になってくるとそう思うのです。

      生協の生産者にも色々な方がいます、だから貴方たちが見極めてください。

      それは舌であり五感であり 無添加であれば素材をどう生かしているか、農産物ならその産物が喜んで身体に感じられるかでしょう。 

      或いは皆さんもそれを感じる五感や或いは第六感を鍛えなくてはなりません。

      もっと言えば生産者が何を目指している生産者なのかを生協を通じて問わなくてはいけません。

      何故なら××さんが書いているように、食べる皆さんは食品を通じて血肉を日々作るのですからそしてそれを任せて作ってもらい購入する訳ですから。

      そして何より愛情です。風邪をひいていると言うなら消化が良くて温まる食事とか。。。

      だから無添加は、合成添加物を単に使わないだけではなく素材を生かす、素材が喜ぶ作り方をしなくてはなりません。タラであれ野菜であれ当然素材が死んでしまうような扱いをしたら加工する前にそれはどうしようもない形だけの無添加食品になるでしょう。

      商品作り販売は確かにお金儲けです、しかしお金が始めにある仕事はしていないつもりです。

      経営が上手く行かないのは考え方が良くないからだと震災後 しっかりそう思います。 

      だから私は震災前の食品を超えるものを作りたいとスタッフも含めて念じています。

      地獄を見聞きし体験したのは私だけではありません、そして未だ放射能に苦しんでいる福島宮城と関東のホットスポットの人達 私達は自分を変え皆さんと交流してより強い繋がりを持ちたいと思います。

      生協は信頼にたるところかどうかは皆さん次第です。皆さんの食を任せてモノ作りをしてもらう生産者なんですから 信頼は本当に作るものです、皆さんと作りましょう。

      次回交流会があった際はぜひ参加してください。素敵な子供達がもっと素敵になりますよう、そして連れ合いさんも当然貴女もその子達に負けないよう 素敵な方になりますよう。

      互いに頑張りましょうって それでいいじゃないですか。たまに手抜きしておっ母も今日は疲れているからっていいじゃないですか。

      肩の力が全然抜けていない全力疾走の私が言うのもなんですが 肩の力抜いて 胸いっぱいに空気を吸って 笑顔で。

        お会い出来るのを楽しみにしています。

      有難うございました。

       

              

                     宮城県石巻市 蟾盒尭措商店 代表取締役 高橋英雄

       

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      感謝 09:53
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         早いものでもう1年が過ぎました。
         市内でも被災者が仮設住宅から、また沢山のボランティアさんが全国から集まり1年目を節目にしようと前日から悼む会や追悼式が行われてました。

        しかしゴメンナサイ。

         少なくとも私にとって今年の3・11は決して節目ではありません、節目にしようがないとそう思えるのです。前日10日にはテレビで初めてその映像を見て涙が止まらないだけでなく、そうであればボタンを押せばいいものを切れない自分がおりました。 薄れゆくとは言え言葉にならない体験は心の底にずっしりと重くしかし忘れていかなければ明日を生きていけない私がいます。
         確かにそうなんですが、忘れてはいけないことをしっかりと刻み込むように涙の向こうの 映像を何故か詫びながら強くならなくてはと念じながら見続けていました。

         あの濁流の中にも流される車の中にも人がいて恐怖で泣き叫んでいる リモコンボタンを押せば簡単に映像は消えますが、消してはいけない、目を逸らさず涙で流さず苦しくとも見続けなくてはいけないと誰かが言っている、そんな気がして。 そうして生きることは、供養ではなく残されたものの重い務めのようなものだと そんな気がします。
         凄惨すぎる体験と癒されぬ痛み、暮らした土地を奪われ家も生きた証も 無惨な姿に変わりはて、しゃがみ込むような二重三重の重荷を抱えて それでも前に進む私達だけにしか出来ない務めだと最近そう思うのです。

         震災前でも今でも支援してくれる皆さんの周りにある悲しすぎる沢山の問題(貧困、格差、、虐待、自殺、暴力、差別、弱者支援、性、幼児虐待、育児放棄、躁鬱、孤独死、温暖化、原発とその放射能汚染、食の安全性・・・)が全国にありました。

         そしてそれが被災地で悲しいことに 今 顕著に現れています。その一つでも小さくともいいから解決の糸口が見つけられないものなのでしょうか。本当は何が大切だったのか、幸せって? 人を思いやるって・・・今回少し分かった気がしています、情けないことにあんなことがなければ分からなかったのですが。

         私の務めって きっとそんな悲しみが少しでもなくなるようにとの皆さんの願いを、被災した私達しかできない そんな気がするんです。毎日のように皆様から頂く何通ものお便り。美味しかったよ! 涙が出ました、しっかり家族で味わいました、噛み締めました、 小さい子供にも分かるんですね話せば、よく立ち上がってくれました、頑張ったね、 励みになり勇気が湧いて、支援し続けます、寄り添います、すぐ後ろにいつも居るからね、苦しかったでしょう、おでんセットいつまでも待ってます、身体だけは本当に気をつけて、頑張りすぎないで、いつも一緒にいます。。。。。有難すぎてもったいなくて・・・ 私達は身の丈の復興に向けて、でも少しでもつま先に力をいれて 身の丈を伸ばして、決して無理をせず息長く私達にしかできない、 私達だけができる、私達がしなくてはならない務めを生きます。

         厳しいけどそう生きて行きます。あの映像を消さないでください。本当の無念なことにならないように祈って下さい。 原発は要らない、山や里では、昨年は5cm、1年で10〜20cmずつ放射性セシュゥムが地中に滲みていくと言われ地下水、川、海へと。そして行き場のないそこで暮らすしかない人々。

         宮城県の私達は地震と津波とで全てが失われた、そして放射能もまき散らかされた、当該企業は正式にお詫びもなくお金の話だけが先行する。福島県は悲しすぎるこれからを生きるしかない、あまりにも酷すぎる。
         私達の心奥深く悲しみ、苦しさが見え隠れして・・・しかし絶対心根は腐らないと自分に約束した。

         皆さんが自身の生活の足元を見直し未来へ繋ぐことを沢山の笑顔で私達に教えてくれたから。叶うなら皆さんと共に一緒に本当の豊かさや幸せを求めていきたい、叶えて欲しい。 沢山のご支援に感謝しています。
         両手を合わせて感謝しています。 また明日ね〜って!!

         手を振りながら帰っていく支援の車が見えなくなるまで私も手を振って何度も何度も頭を下げて・・・忘れません。今でもその光景、数々の思いやりを思い出しお手紙を見るたびに目が潤みます。
         今そう、ようやく今 24名のスタッフにもいっぱいの笑声が戻っています。ただの笑声ではなく本当に嬉しい笑声なんですよ。

        ありがとうございました。

         本来ならば皆様から頂くお手紙や励ましにお一人づつ返信すべきな のですがこのお返事でごめん下さい。 また勝手ながらこの文面はお便りはありませんでしたが、他の沢山のご支援への 感謝として5月に入って当社のホームページに掲載させて頂きます。 ご容赦ください。 皆さんの心に私達も添って行けますよう

        またお会いできますよう  


        2012年3月20日 
        うっすら雪景色の会社にて              

        高橋英雄 拝
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        千葉・岩手・関東の組合員さんから写真付きの応援を頂きました。 18:00
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          1年 09:30
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            早いものでもう1年が過ぎました。
            市内でも被災者が仮設住宅から、また沢山のボランティアさんが全国から集まり1年目を節目にしようと前日から悼む会や追悼式が行われてました。

            しかしゴメンナサイ。

            少なくとも私にとって今年の3・11は決して節目ではありません、節目にしようがないとそう思えるのです。
            前日10日にはテレビで初めてその映像を見て涙が止まらないだけでなく、そうであればボタンを押せばいいものを切れない自分がおりました。

            薄れゆくとは言え言葉にならない体験は心の底にずっしりと重くしかし忘れていかなければ明日を生きていけない私がいます。
            確かにそうなんですが、忘れてはいけないことをしっかりと刻み込むように涙の向こうの映像を何故か詫びながら強くならなくてはと念じながら見続けていました。

            あの濁流の中にも流される車の中にも人がいて恐怖で泣き叫んでいる

            リモコンボタンを押せば簡単に映像は消えますが、消してはいけない、目を逸らさず涙で流さず苦しくとも見続けなくてはいけないと誰かが言っている、そんな気がして。

            そうして生きることは、供養ではなく残されたものの重い務めのようなものだとそんな気がします。

            凄惨すぎる体験と癒されぬ痛み、暮らした土地を奪われ家も生きた証も無惨な姿に変わりはて、しゃがみ込むような二重三重の重荷を抱えて
            それでも前に進む私達だけにしか出来ない務めだと最近そう思うのです。

            震災前でも今でも支援してくれる皆さんの周りにある悲しすぎる沢山の問題(貧困、格差、、虐待、自殺、暴力、差別、弱者支援、性、幼児虐待、育児放棄、躁鬱、孤独死、温暖化、原発とその放射能汚染、食の安全性・・・)が全国にありました。
            そしてそれが被災地で悲しいことに「今」顕著に現れています。    

            その一つでも小さくともいいから解決の糸口が見つけられないものなのでしょうか。
            本当は何が大切だったのか、幸せって?  人を思いやるって・・・今回少し分かった気がしています、情けないことにあんなことがなければ分からなかったのですが。

            私の務めって…
            きっとそんな悲しみが少しでもなくなるようにとの皆さんの願いを、被災した私達しかできない そんな気がするんです。

            毎日のように皆様から頂く何通ものお便り。
            美味しかったよ! 涙が出ました、しっかり家族で味わいました、噛み締めました、小さい子供にも分かるんですね話せば、よく立ち上がってくれました、頑張ったね、
            励みになり勇気が湧いて、支援し続けます、寄り添います、すぐ後ろにいつも居るからね、苦しかったでしょう、おでんセットいつまでも待ってます、身体だけは本当に気をつけて、頑張りすぎないで、いつも一緒にいます。。。。。有難すぎてもったいなくて・・・

            私達は身の丈の復興に向けて、でも少しでもつま先に力をいれて、身の丈を伸ばして、決して無理をせず息長く私達にしかできない、私達だけができる、私達がしなくてはならない務めを生きます。

            厳しいけどそう生きて行きます。あの映像を消さないでください。
            本当の無念なことにならないように祈って下さい。


            原発は要らない、山や里では、昨年は5cm、1年で10〜20cmずつ放射性セシュゥムが地中に滲みていくと言われ地下水、川、海へと。そして行き場のないそこで暮らすしかない人々。
            宮城県の私達は地震と津波とで全てが失われた、そして放射能もまき散らかされた、当該企業は正式にお詫びもなくお金の話だけが先行する。福島県は悲しすぎるこれからを生きるしかない、あまりにも酷すぎる。
            私達の心奥深く悲しみ、苦しさが見え隠れして・・・しかし絶対心根は腐らないと自分に約束した。 皆さんが自身の生活の足元を見直し未来へ繋ぐことを沢山の笑顔で私達に教えてくれたから。

            叶うなら皆さんと共に一緒に本当の豊かさや幸せを求めていきたい、叶えて欲しい。


            沢山のご支援に感謝しています。両手を合わせて感謝しています。

            また明日ね〜って!!手を振りながら帰っていく支援の車が見えなくなるまで私も手を振って何度も何度も頭を下げて・・・忘れません。今でもその光景、数々の思いやりを思い出しお手紙を見るたびに目が潤みます。

            今そう、ようやく今 24名のスタッフにもいっぱいの笑声が戻っています。ただの笑声ではなく本当に嬉しい笑声なんですよ。

            ありがとうございました。


            本来ならば皆様から頂くお手紙や励ましにお一人づつ返信すべきなのですがこのお返事でごめん下さい。

            また勝手ながらこの文面はお便りはありませんでしたが、他の沢山のご支援への感謝として4月に入って当社のホームページに掲載させて頂きます。
            ご容赦ください。

            皆さんの心に私達も添って行けますよう  またお会いできますよう 


            2012年3月20日  うっすら雪景色の会社にて

            高橋英雄 拝
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            目の前から 12:16
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               目の前から住人のいない家々が壊されている、流され撤去された家の跡、更地を風が吹き抜ける。震災から11ヶ月、心も荒れ果て何も終わっていない。皆さんのご支援で未来を見せて頂きましたが当時有難うの言葉意外何も持っていませんでした。私達は震災前には戻れないのです。しかし今スタッフとその生産物だけは震災前から大きく変っています。気をこめて感謝を形にし厳しい冬を越えてきました。皆さんの温かい思いに支えられ一生懸命商品を作れる幸せ・・

              たった1生産ラインですが仕事ができる喜びをかみ締めています。みんなみんな傷つき、諦めとも言える疲れが今私達の奥深くに重くのし掛かって来ているのですが。
              本当に嬉しいんです、有難いんです、お手紙で美味しかったと頂けるのは、私共スタッフ全員の力になっています。
              震災前には正直、食べて支えて頂いている皆様からの嬉しいお便りは、これほどまでに感じなかった、皆さんの心が行間に溢れているのが分かるんです。
              たかが加工品ですが、我がスタッフの沢山のつぶやきを味わって頂けましたら幸いです。有難うございました。

              集合写真

              宮城県石巻市 蟾盒尭措商店  
              24名のスタッフと代表取締役高橋英雄


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              常総生協様 10:03
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                スタッフも技術も離れ借り入れも返済猶予中、水没した膨大なデ−タ、地域の繋がりもなくなり病原菌や放射能や風評に曝され遅々として進まぬ解体やガレキの道を抜けて冷たい北西の風が吹き抜ける。
                仕事を終え工場を出る、足元から寒さが次々と押し寄せ一旦外に出ればわずかな街灯以外は真っ暗な闇があたりを覆い物音ひとつ聞こえない。家々は解体もされず昼は二階の窓のカ−テンがさびしくゆれています。時間が止まったようなモノクロの世界、心も凍りつくような日々。
                それでもヘドロやぼろきれ、紙で汚れた梅の木に淡いピンクの花が昨年より少しは多く今年も見ることができるでしょう。私共そして当地石巻への皆さまの温かいご支援で梅の花のような「未来」「希望」を運んで頂きました。泣いてばかりいられない、ため息は飲み込もう、涙は分かち合い寄り添って生きる・・・揺れながらの一年がもうすぐそこに。
                「忘れてはいけない、忘れたい、忘れていく、忘れられない」を引きずりながら「自立しなくては」、再雇用スタッフ22名がそれぞれの3.11を抱えながら笑いが戻ってきています。恩返しは震災前以上の品質を!今はそれしかできないけれど精一杯の気持ちを作り続けます。
                もう少しもう少し、次は皆さんの仲間としてこの地域からこころを紡ぐ私共になることを誓いながら。アリガトウ・ありがとう。

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                お世話になりました皆様へ 18:50
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                    本来であればお一人お一人のお名前を手書きでお出しするところですが、当方の現状をご理解頂き「お世話になりました皆様へ」という宛名での失礼をご容赦ください。

                  省みれば・・・という言葉から書き出せないほど、はや1年になる当地石巻は現工場の二階から見れば未だ隣接住宅の解体は終わっておりません。人が住めない住宅の二階のカ−テンが細かいホコリの風に揺れて、津波で流された住宅や工場跡には雑草が生い茂り、解体されたばかりの住宅跡地には生石灰の白い跡が残っています。石巻市だけで4000人を超える犠牲者の身元が分かった方は棺にも入れられず土葬され今は生石灰の跡が残るだけです、解体された住宅はまさに私たちの生きた証の生活全てが土葬されたように生石灰の白い跡を見せています。石巻で620万トンのガレキは行き場もなくまだ被災現実が重く圧し掛かったままです。

                  同じ現実に今まさにさらされているのが福島です。原発事故、いや事故ではなく国と電力会社、関係する企業、そしてそれを許してきた地元行政や政治家、住民と村や町の貧しい暮らしを作ってきた政治による攻撃のような感じさえする現場です。何より家や建物がそのまま残って、或いはホットスポットでも生活の場を移せず被災者が一生目に見えない恐怖と身体的異常を恐れながら暮らしていくことを無理やり選択させられたと。

                  隣県の私たちも原発からくる南西の風や雨を受け山の沢水を何ヶ月も飲んでおりました。海洋や河川の魚介類は汚染され魚によっては未だ数値も下がらず農地も大きな汚染の広がりを解決できておりません。悲しいですが事実でしかも現実です。

                  当時 避難所では食事も水もないところも多く私どもも皆さんのご支援がなければ今こうして机に向かうことも出来なかったでしょう。

                  温かい励ましや食べ物、日用品、義援金、ヘドロやガレキ掃除、車まで頂戴いたしました、心から感謝いたします。救っていただきました。

                  生き残ったのは本当に偶然としか言えません、そして今 被災地では心的な悩みを抱えている方が多くなりました、癒すすべもなく夢に見たり突然悲惨な記憶がよみがえったり躁鬱になったり、私の周りでも知人が三人自殺しました。酒やギャンブルにおぼれて家庭内暴力も増えているそうです。

                  そんな中 本当にお陰さまで2011年10月1日、6ヶ月半ぶりにたった1生産ラインですが、消えていた火をつけることが出来ました。全国から800を超えるおめでとうのメール、寄せ書きも頂きました。

                  21名のスタッフが戻ってきました、3月30日75名の全員解雇は苦渋の選択でしたがようやく再雇用できました。地域では小規模の機械会社や電気設備、包装資材や長距離トラックの会社が復活して私どももその中の一社として地域で元気を取りもどして出発ができたのです。

                  当地は1〜2m地盤沈下しており地震や津波や台風がくれば干潮でさえ盛り上がって見える海や川がまた攻め込んできます。

                  現工場で1年間生産し、来年秋には石巻を離れ隣町の小高い山の中腹にメイン工場移転の計画を作り始めました。

                  海の近くの第二工場は大潮の満潮時には敷地に入れないほどに海水が入ってくるし工場の床の下は海水が出入りしています。

                  新工場建設に当たり61歳にしてまた借金をしなくてはなりません(20年払いだと81歳=苦笑)が、これまでの体験や現実を引きずりながら生きていくしかないと考えています。しかしあと10年.15年残された人生を何のために生きていくのか。正直分からなくなっています。生きる意味です。人生は私のもので自分が生きたいように生きる、血肉を作る食品に気を入れて頑張ってきた自分に、残され限りある年月をどういう風に生きたいか分からないと震災のお陰(と言ってはなんですが)で考えさせられました。

                  食の仕事はしていきたい、当然素材が生きる無添加です、食を大切にする人は自分を大切にする、自分を大切にする人は人を大切にする。震災では価値が変ったしかし新たな価値を作るには力がない。新工場は3.11で考えたことを何年もかかると思います、スタッフや商品に乗せて行きたいと考えています。

                  ダメ−ジを乗り越えて精神的な自立を地域で作り上げる、そして「祈りのある工場、会社」を作れればと。皆さんの支援なしでは出来なかったと。改めて感謝申し上げます。有難うございました。 


                  平成24年2月吉日
                  〒986-0024  宮城県石巻市川口町2-1-35 

                  蟾盒尭措商店 代表取締役 高橋 英雄
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                  牧山神社一年目の集まり 10:24
                  0

                    山では、親鸞上人を語るお爺さんが、昨年のひまわり種を植えて、「花をたくさんの運動」に続いて今は日和大橋から魚町渡波までのグリーンベルトに花を植える運動で若いボランティアを纏(まと)めていた。山にいてもペットボトル蓋に山草や花を植えて皆の心を和ませて。(小さい蓋ですが沢山集まると壮観です)

                    他の人は本当にこの避難所にきたから人への優しさ思いやりを知ったと私の言動に感謝を頂いた。

                    また理髪店のマスターは毎月宮司さんの髪を切りに山にきて、仮設の理容室で椅子ひとつで営業し、ケーキ屋さんのご主人の息子さんは私に怒られると県の中央部に避難したまま再起を迷い、しかし震災でよく人の面倒を見て見違えるようになったがまた迷っていると。

                    漁業家の長女のココロちゃんは二年生、ヒデオ(私)さんに会いたいとしきりに話していたと私に来たから美人さんになったねとタクサン褒めてハグをした。

                    ちゃらんぽらんのバツイチ兄ちゃんは顔も目もしっかり落ち着き自信さえ見えてきた。

                    当時の二組の赤子は一才7ヶ月と当時生まれたばかりの赤ちゃん(一才ちょっと?)は相変わらず泣いていた。

                    お婆さんはどうしたの!と赤ちゃんが泣くと相変わらず当時の毎夜の言い方をしていてお母さんはどっしり気構えが出ていた。

                    真夜中私が皆に赤ちゃんは未來なんだからね、泣いたって誰も咳払いなんかしないから大丈夫!と言って助けてくれたことを忘れずに感謝された。

                    仙台から夫婦が来てくれ、震災時に息子が魚町の水産会社で被災し、山に来て温かい雑炊を頂き助けてもらったとお礼に来たところ偶然に皆さんと会うことに。



                    再び避難所で皆様と再開


                    献花
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                    素敵なお手紙 18:55
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                      素敵なお便りを頂きました。

                      本当に嬉しいものですね、ありがとうございます。


                      ※クリックで拡大表示されます。

                      お手紙
                      | 感謝 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 高橋徳治商店 -
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